運命はどこまで変えても良いのだろう
精神世界の学びが進んでくると、すべての出来事が自分の学びのための神様からの贈り物に感じるようになります。 しかし、やっぱりしんどいことより楽なほうが良いです。楽しいほうがいいです。 そう思って、ご祈祷やってみたり、占いやってみたり、超能力にあこがれてみたりします。 しかし、それって、神様が最善と思っていることを受け取り拒否しているんですよね。 神様の行いを否定してるんです。 それってどうなんだろ・・・? レイキで開運、なんて言いながら壁にぶつかりました。 運命とは何か、考えました。 運命とは、神様が与えた最善の個別学習プログラムである。 そう言う考えが浮かんできました。 もしそうなら、そのプログラムどおりに学習をクリアしていけば、最短で学びは終了します。 しかし、人間って、そんなことできないんですよね・・・ うちの塾の生徒の中でも、言われたとおりにやってる生徒なんて一割に満たないもんです。 とりあえず決められた日に来ては、その目的も分からず、勉強に頭も使うことなく、嫌だ嫌だと文句をつぶやきながら言う事も聞かずに、時間だけが過ぎていくんです。 そして、志望校に行けずにレベルを落として行ける所に進学するんです。 全部聞かなくてもほどほどに聞いてる人は、ほどほどの結果を出して、それなりに満足してます。 運命もそうじゃないかな?すべてを拒否するわけには行きません。 全てでなくても、ほどほどには受け入れて学んでいくことを神様は望んでいるのではないでしょうか? 神様の思惑に完全にそっぽを向いて、人間としての成長は無いでしょう。 ちょっとずるをしながらでも神様の向いているほうをやっぱり向いていたほうが成長は早いんです。 だから、全てをご祈祷、まじない、占い、超能力で逃げていてはいけないんです。 それでは、神様もあきれてしまいます。 私ができること、してもいいこと・・・ 私は運命は変えません。 ただ、学びや気付きのお手伝いをすることで、みんなのつらい時間を短くする協力をします。 しかし一つ一つの課題をクリアするのは、一人一人の課題です。 それは、みなさんがんばってください。 よく考えると、これってうちの塾が生徒にしていることそのものだったんです。 |