親切は見返りを期待したとき親切ではなくなる
はい、そうなんです。 受けた側にとっては、した側がどう言う思いであるかは問題ではなく、親切をしてもらったと言うことでいいのですが、「親切」をした側の心の問題としては、見返りを期待した途端にそれは取引になってしまうのです。 取引、つまり等価交換、差し引きゼロです。 徳積みは結果が大切なのではなく、無私の動機であることが徳を積むことになるのです。 物やお金を要求するのではなく、感謝の気持ちくらい期待してもいいじゃないと思われるかもしれません。 じゃあ、感謝の気持ちがもらえないと最初からもらえないと分かっていたら、やりがいがないと思ってやるのをためらうのか?という事になります。 それは、お金がもらえないから働けないと言うのと、潜在意識レベルでは同じ「取引」でしかないということです。 それでは、徳は積めない。 逆に、期待した評価が社会から得られないことに、ネガティブな想いを少しでも発してしまえば悪業を積むだけのことになります。 「親切」をしたいなら、やった結果、どれだけ無視されても否定されても、それをしないと自分の良心が納得しないと言う気持ちであることを確認してからするのが良いでしょう。 そうでなければ自分では徳を積んでいるつもりでも、結果的には反対のことをしていることになりかねません。 そして、周りにどういわれようとも自分はそれをするという心境に至るのが、心の修行なのかもしれません。 いつでも自問自答。 多分私がしていることは、どれも「取引」なのかもしれません。 |