精神世界は魑魅魍魎
目に見えない話を扱う精神世界は怪しさ満載です。 その存在の真偽を確かめる方法は在りません。 ひたすら、それがあるという人の言うことを信じるしかないのです。 その世界のことが見えたり感じたり聞こえたりすると言う人がいるのは事実です。 ただ、その人が本当にその世界のことを見ているのか聞いているのか感じているのかは誰にも確かめようがありません。 また、そう言っている本人は自分の体験である以上、それが真実であると信じています。 何人かの人が同じことを言っているのを聞いて、おそらくは事実なのだろうと推測するしかないのです。 しかし、脳科学が進み本人が見たり聞いたりしていることが事実であるとは限らないことが明らかになっています。 脳は自分の都合の良いように、情報を編集するのです。 また、ありもしない情報を脳内で生成することすら在るのです。 ここまでなると、精神世界の話はほとんどが妄想と言われてもしょうがないかも知れませんね。 しかし、それでも妄想ではすまされないことが起こったりすることが極めて少なくてもあるかも知れません。 私自身が予知夢を見たり、ある種の予感がして行動をとると予感通りのことが起こったりと言うことがまれにあります。 それは、確率論や現状からの推測では起こり得ないことが起こるのですから、それを感じ取ったのはいったいどのようにしてだろう?と考えてみたくもなります。 その時に、私たちが認識できるこの世界以外の次元を仮定することですっきりとしそうなのですね。 精神世界と言っても夢の世界や意識の世界などという曖昧なものではなく、この世界と地続きな次元が在るのだと思います。 ただ、私たちの五感では認識できないだけなのです。 その認識できない世界での法則が少しでも分かれば、私たちの世界にもその法則は適用されているでしょうから、一段高いところからこの世界が眺められるようになるのではないでしょうか? それはおそらくお釈迦様などが見ていた世界なのだと思います。 そんなことを思いながら、日々妄想にふけっています。 |