悟りと精神レベルの関係
レイキなど精神世界に関わっていると、とにかく精神レベルを上げたいと言う声を頻繁に聞きます。 では、その精神レベルが高い状態とはどう言う状態なのか? 当然、規定があるわけではないので、誰が度言うレベルにいるとか言う話はナンセンスなのですが、高い低い、上がる下がると言うからには、ある種の方向性、基準があってそれに照らし合わせて、その様に言うのでしょう。 だから、高い状態や上がって行くとはどう今と変わるのかが定義されていないとおかしい訳です。 そうでなければ、それは変化ではあっても上がっているのか下がっているのか、単にスライドしているだけなのか、言いようがありません。 なのに、みんな何かを見つめて精神レベルを上げたいと言います。 精神レベルが究極まで上がるとどうなるのか? この言葉を使う人の多くがチャネリングからの情報を真理であるかのように大事にするように思います。 では、そのチャネリングの情報源の存在はそんなに精神レベルが高いのか? 私にはそうは思えません。 チャネリングの本やそう言うものを愛読するような人の話を聞いていると、ちょっと地球人より情報を知っているだけです。 もし、情報を持っているから精神レベルが高いというなら、IQ120の東大生の方が、IQ200の高卒のホームレスよりも頭が良いと言うような論理と変わりありません。 それは本当か? それだけでは、決められない。 それを、チャネリングをするには精神性を高めないと繋がれないとか言い出して、だから、チャネリング情報を送ってくる存在はもっと精神性が高いのだと決めて掛かるのは幼稚な発想です。 実はちょっとおしゃべりでおせっかいな暇人の宇宙人というのがチャネリングで繋がる存在の招待である方が多い。 彼らは分かったかのように、「愛」を連呼するのですが、それでどうなるのか? その「愛」とは一体どんなものなのか? みんなが愛に満ちると世界、宇宙が平和になるようですが、平和とはどんな状態なのか? それがいまいち見えません。 みんな、何となくふわふわしているものに憧れているだけ。 一つ一つ積み重ねて、レベルを上げると考え出すと、相手が宇宙なのだから、果てが無い、どこまでも上がり続けないといけない。 それでも、相対的に比べると何倍も高い存在がいたりして、いつまでも、もっともっとと思い続けることになる。 それって終わりの無い欲望ではないのか? 精神レベルを上げるという言葉に囚われている限り、それは一番レベルの低い、満足を知らない欲望に囚われることになります。 それでは、輪廻から逃れることは出来ない。いつまでも魂の修行は続くことになります。 そうじゃなく、精神レベルの高い低いには関係なく、悟りは訪れます。 そして、そこらの宇宙意識よりも深いレベルで宇宙の摂理を理解した時、解脱することになるのです。 その時始めて、欲望への囚われから開放されることになるのです。 それはチャネリングの延長にはありません。 では、どうすればそうなるのか? 絶対そうなる方法はありません。 もしあれば、もっともっとたくさんの人が解脱をしていることでしょう。 確実な方法が無いから、誰も悟りに目を向けず、刹那的な快楽を追い求めて刺激を際限なく生み続ける社会システムが構築されてきたのです。 レイキも同様に確実に悟りへと導いてくれるわけではありません。 下手に能力を手軽に獲得できるために道を誤ったと思えるようなヒーラーも少なくありません。 また、道を誤らなくても積み重ねの先にはそれはありません。 積み重ねる作業は、車が地上を走るようなもので、悟りに至るには空を飛ぶしかないのです。 そのための飛躍がどこで起こるのかは、誰にもわかりません。 分からないから、宇宙意識ですら「愛」などと言う中途半端な言葉でほのぼのふわふわした淡い期待を人類に抱かせることしか出来ないのです。 道を誤らずに進んで行く過程で、ぽんと何かに背中を押されるのを待つようなものです。 それは、道を踏み外していても起こるかもしれないですし・・・。 |