焦り・憤り
目の前に起こる事には全て意味がある。 と言いながらも平成18年の私はこの二つの感情と隣り合わせの時が多かったと思います。 この感情を抱いている時には、大局的な見方ができていないので、目の前に起こることの意味など考えている余裕はありません。 ただ、ひたすらじりじりと気持ちが磨り減っていくような感覚。 しばらく経って、開き直りだした時にふと思い出します。 そうか、ここにも学びの種が隠れていた。 何度も何度もそれを繰り返しました。 そして、ある日気付いたこと。 私は何にこんなに焦り、憤ることがあるんだ? それは思い通りにことが進まないころに対してのものでした。 焦りがある時、いつも決まってもいない自分で思い込んでいた予定が心の中にありました。 憤っている時、いつも心の中に一番正しい自分がいました。 思惑通りにいかない時に湧き上がる感情。 でも、思惑と言うのはあくまで自分の都合でしかない場合が殆どです。 そうです。 自分の都合で物事を見て、思惑通りに物事を進めようとしている時に、ことがスムーズに進むわけありません。 そこには調和がないからです。 溢れんばかりのエネルギーがある時にはそれでもやっていけるかも知れませんが、それはエネルギーが途切れた時に必ず揺り戻しがあります。 そう言えば、今年は何度もメールで自分の思惑通りに強引に物事が進んで欲しいと願うことを戒めてきました。 それなのに、自分自身のそういうエゴはなかなかコントロールできていなかったようです。 それに気付かせる為に、何度もそう言うやり取りをメールでさせられていたのでしょう。 目の前で起こることには全て意味がある。 間違いありません。 平成18年のの私は謙虚さを見失っていたのでしょう。 平成19年は目の前に起こることは自分の心を映していることを意識して、謙虚に生きていきたいと 思います。 これもまた五戒の精神であると肝に銘じて。 魂は浄化を求めている?----何の? |