生きている限り、浄化は終わらない
レイキを始める人や精神世界大好きな人の中には、自分の穢れ汚れを全部浄化したら、自分が生まれ変わって新しい人生をやり直せるとでも思っているのかな?と言うくらいに浄化浄化と言う人がいます。 実際、それをあおるような書籍が巷に出てきていることもあり、それに拍車がかかっているように思います。 では、実際に自分の中の汚れは浄化できるものなのか? 私は思うのですが、その浄化を勧めている書籍の著者ですら浄化しきっているかと言えばそんなことありません。 何故そういえるかといえば、その本を読んだ人に、自分は汚れているから浄化しなければ・・・と不要なくらいの焦りをもたらしているからです。 そのように人の気持ちに余計な波風を立たせるような書籍をばら撒く人間が浄化されているなんていうなら、浄化などくそ喰らえ!です。 先日いただいたセミナー受講生からのメールのやり取りです↓ > 浄化っていう事、一体どこまで?私の心身はよどんでいるのだ。 > っていう様に大波小波です。 あのですね、元々在ったものがどうこうではなくて、生きている限り人間はカルマを作り続けるものなのですよ。 それが、よどみとして体や心に残るのです。 ですから、今在る心の動きをよく観察し続けることです。 完全な浄化など生きている間には無いものと思っている方が精神衛生上良いものです。 > レイキの伝授とは、ただアチューンメントを受けて道が付く?だけでなく(そりゃそー > なんですが)魂的に歩けるようになる為の道づくりの感じもしています。 > 変な文章ですが、えーと、魂さんが地に足つけていけるように、今、 > 汚いのをお掃除しているみたいですね・・・ > 体に現れる現象は肉体的に。五戒は心的に。です。 そうですね〜。 この世の心や肉体と言うのは、ご自身が住んでいる部屋と同じです。 そこに生活がある限り、ごみが出ないことはありえないし、散らからないでい続けることもできません。 絶えず、整理をし掃除をし続けることが必要なものです。 そのことすら気付かずに、浄化浄化と励む精神世界オタクは、賽の河原で石を積み続ける子供のような存在です。 それは自分の「我」が動機となっている限り永遠に続くことになります。 汚れと言うのは人間が勝手に汚れていると決めたものに他なりません。 それを、浄化しようとしている限りは、物事に線引きすることを止められない以上、本当の浄化にはつながらないのです。 |