感情は機械的作用の結果です
心と感情を同じもののように思って、怒りの感情が湧くと気が済むまで怒り、悲しみの感情が湧くと涙かれるまで泣き、嬉しいことがあると天にも昇るように喜ぶ人がいます。 それは、感情が思考の一部だと思っているから、当然のことと思っているのだろうと思います。 しかし、感情は心とは別のものです。 感情は外部からの刺激に対して、自分の身をより安全に保つための防衛機能に過ぎません。 怒りが湧く環境にいれば、それは自分が生き残る上で障害があることを意味します。 喜びが生まれる環境とは、そこにいれば安全に過ごせることを意味します。 悲しみにひたってしまう環境にいれば、生命活動が低下し、競争力が弱くなります。 楽しい環境にいると、生命力が躍動を始め、最高のパフォーマンスができるようになります。 それらの感情は、思考の結果に導かれるものではなく、瞬間的に生まれてくるのです。 身の危険を察知したり、周りの空気が変わることに対していろいろ考えた結果に感情が湧くようでは手遅れになりかねません。 本来思考が発達していない動物はそうやって、身を守っていたのだと思います。 それが、思考が発達して記憶容量が増え、ヒトと呼ばれるだけの脳を獲得した時、ヒトは思考と感情が不可分になってしまったのでしょう。 感情が生まれ、それに対して因果関係を分析して学習をする。 そいう言う繰り返しの中でヒトは刺激→感情→思考と言う本来一方通行的、機械的な流れを、高度に発達した脳により、自然界ではありえない思考→感情→行動と言う流れを「意思」の力によって出来る能力を獲得したのではないでしょうか。 この思考と感情の双方向的なやり取りが感情と思考を不可分にして、今のヒトの感情に振り回されるような、ある種の脳の暴走を引き起こすことになったのでしょう。 その結果、感情は純粋に命を守るだけの機能ではなくなってしまいました。 そのことに気付いていないと人は妄想に振り回されることになります。 現実に無いことに怯え、既に済んだはずのことに足を引っ張られ、今の時間に生きることができなくなったために、我々は敢えて今この一瞬を大切に行きなさいと言わないといけなくなったのです。 |