超能力者 業の深い人たち
オカルトや精神世界の中毒者には超能力に憧れ、能力者を偉い人かのように思っている人がいます。 しかし、本当に偉いのか? 答えはノー 能力者の中には、自分は選ばれた人、この能力で人を救いなさいとお告げがあったとか言って、あたかも自分が神の代理人のように言い振らす人がいます。 馬鹿らしい。 特に本人がそう思い込んでいたりするから、厄介。 因果の法則があるなら、神は特別に誰かを選んでなにかをさせるようなことはしない。 それは因果の法則に反することだから。 そうでなく、その能力を持つに至る業があるから、その能力を持ってしまったに他ならない。 それは病気を持つのと何ら変わらない。 原因があったらから、結果があっただけのことです。 もし、超能力者が希少だから偉いと言うのなら、奇病に冒される病人も同じくらい偉いはず。 それは同じくらいに特異な環境で学ばないといけないと言う意味で。 でも、希少だから偉い、珍しいからすごいと言うのはありのままを見ているのではない、特定の価値観を通したものの見方。 ありのままを見ているとは言えない。 ありのままを見ていないと言うことは、真理を見ていないことに他ならない。 だから、自分で選ばれたなどと言う人がいたら、その人は間違いなく、その因果を通して学ばなければいけない課題の落とし穴にまんまとはまってしまった人なのです。 どれだけ正しい事を言っていても、どれだけ正しく未来を占ってみたとしても、それだけで教祖様のように崇拝するのは問題。 どれだけの悪人でも目があれば目の前のものは一応見える。 知性があれば、それなりに学問も理解できるから、筋の通った話も出来る善人と同じくらいに物は見えているものだ。 同じくらいに筋の通った話も出来るのだ。 超能力を持っている事についても同じことが言える。 それは偉い偉くないに関係なく、見えるだけのことだから。 ただ、その環境におかれることで、こなすべき課題を背負っているだけの存在なのだ。 それは、そう言う能力を持たないいわゆる凡人の人生の構図と何ら変わりない。 逆に見えるものが多い分、窮屈なくらいだ。 それだけ苦も多いと言える。 別に超能力が無くても悟りに至れるのだから、雑音が我々より多い超能力者とは我々よりも不幸?な存在ともいえる。 もしかするとそれだけ前世の業が我々よりも深いのかもしれないのです。。 もし、目の前に現世で犯罪を犯して監獄に収容されている人を見て、あなたはその人に、あなたほど偉い人はいません、あなたについていきます、と本気で言えるでしょうか? 確かに、前世での良い行いの結果、次のステップとして超能力を持つに至った人もいるかもしれません、しかし、逆のこともあるかもしれません。 一つの結果に至るのは一つの原因だけとは限らないのですから。 |