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サイキック攻撃について
(ブログから)
メールでの質問に、 エネルギーを吸い取られているとか、サイキック攻撃にさらされている。もっとバリヤしなさいと、見える系の人に言われたのだけど・・・ と言うような質問がありました。 私の思ったこと。 この見える系の人はエゴの塊だ・・・ 単に見えるだけ。 そういう人が人にあれこれ言うから世の中おかしくなる。 いくらいろいろ知っていても、知能が低ければ適切にそれを使えない。 理性が伴わなければ、調和を乱すことにしか使えない。 バリヤを張るとは、自分に殻を張り巡らせると言うこと。 それは、自分と他人の境界線をはっきりさせること。 その守り方はエゴ主体のやり方です。 エゴがすべて悪いわけじゃないけれど、ここでは適切じゃない。 現象の意味と向き合えば、 エネルギーを吸い取られるとは、同じ性質のものが干渉し合って、エネルギーレベルがならされているわけでしょう。 それは、吸い取られたと言うような被害者意識で語られるべきものではありません。 お互い様なわけだから。 もし、それによって何か悪いことが起こっているというなら、そういう業が元々あったわけです。 それが、余計なエネルギーのおかげで見えなくなっていて、先延ばしされていただけです。 つまり、余計なエネルギーをもらってもらえたおかげで、本来果たすべき業がようやく表に顔を出したのです。 それを嫌がる存在とは何か? それこそ、エゴ。 自分をそのままで生かし続けるためには業は解消されるわけにはいかないものですから。 それから、サイキック攻撃 それを呼んだのは誰の波動でしょう? 紛れもなく、その人自身です。 つまり、その攻撃は自分の心の産物です。 だから、自分を被害者に仕立て上げてはいけません。 それよりも、その攻撃を招いた自分の在り方をよく見てください。 そうすれば、その攻撃もまた、自分の在り方について気づくべき課題を教えてくれているのです。 それをバリヤするなんて・・・ そんなことを言う見える人というのは、自分と同じレベルでなくなる人の足を引っ張っている寂しがり屋さんでしかありません。 なぜなら、サイキック攻撃も、エナジーバンパイヤも結局は自分の在り方を伝え、業を解消していく過程に過ぎないのですから。 それをバリヤというエゴ丸出しの方法で防げというのは、残念なことです。 せっかく見えていても、これでは何の意味もありません。 それでも、巷の普通の人はありがたがるんですよね、そんな人の言葉を・・・ そりゃこの社会が良くなるわけないよ・・・ で、それらの対処法ですが、きちんと向き合うことです。 バリアを張るのではなく。 とことん与えるのです。 どんどん宇宙から受け入れてそのまま与えるのです。 攻撃はどんどん受け入れて、そのまんま後ろに流すのです。 感情を交えると自分の中でとどまってしまいます。 でも、感情を交えなければどんどん素通りしていきます。 その過程で、何かが引っかかっては多少の苦痛がありますが、それは引っかかるようなものがあると教えてくれているだけです。 だから、それに気づけば良い。 ただ、それだけなんですよ。 エゴのバリヤなんか、津波の前の防波堤ほどの役にも立ちません。 |